小松博文の生い立ちは?手記では自分を擁護してばかり!?

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2017年10月、日立市で妻と子の

合わせて6人を殺害する事件が起きました。

その犯人は、夫であり父親であった小松博文です。

小松の生い立ちはどんなだったのでしょうか。

調査していきます!

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目次

日立妻子6人殺害事件

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

2017年10月、茨城県日立市田尻町で

小松博文(当時32歳)が就寝中の妻・恵さんと

長女・夢妃(むうあ)ちゃん(当時11歳、恵さんの連れ子)

長男・幸虎(たから)くん(当時7歳)

次男・龍煌(りゅうあ)くん(当時5歳)

三男・頼瑠(らいる)くん(当時3歳・双子)

四男・澪瑠(れいる)くん(当時3歳・双子)

の子供5人を包丁で何度も刺して殺害し、

ガソリンを自宅に巻いて放火しました。

犯行動機は、離婚を切り出されたことだそうです。

小松本人も、焼身自殺しようと考えていました。

しかし、放火直後にズボンに引火、その熱さに耐えられず逃げ

日立警察署に自首、緊急逮捕となりました。

その後、現住建造物等放火容疑でも再逮捕されています。

小松博文の生い立ち

名前 小松博文 (こまつ ひろぶみ)

出身地 東京都江戸川区

生年月日 1984年

幼少期

小松博文は大型トレーラーの父親と

専業主婦の母親のもとに生まれました。

遅くに授かった一人っ子だったため、(ともにバツ1)

父親はかなり小松を甘やかしていたそうです。

(母親の家系は敎育関係が多いので

それなりに厳しかったそう)

高校時代

高校時代、免許を持っていないにも関わらず

父親がバイクを買い与えていたとか・・・

そして、勉強は全くせず、何度もバイクや喫煙で

停学処分になっています。

結局、高校は中退し親のスネをかじりながら

パチンコ屋のサクラや車のブローカーをしていたそうです。

その後

仕事中に怪我をしてしまい、近くの病院へ行き

そこで事務職として働いていた恵さんと出会いました。

すぐに携帯の番号を交換し交際へ発展。

恵さんの自宅に引っ越し、

事実婚状態が長く続いていましたが双子が生まれたため

小松が婿養子となり入籍をしました。

しかし、その頃から恵さんとの関係がうまくいかなくなったそうです。


小松は建設業、重機オペレーターや

福島第一原発の除染作業、トラック運転手をやったりと

転職を繰り返します。

そのため、恵さんが夜の仕事をするようになり

店で知り合った男性と結婚を考えるようになっていたそうです。

それを察知し、男性と話をするも返り討ちにあい

恵さんと離婚するよう迫られ

渋々離婚に応じることになった、と。。。


そして、日立妻子6人殺害事件が起きました。

まとめ

https://koku-byakunews.com

日立妻子6人殺害事件の犯人・小松博文の生い立ちについてお伝えしました。

両親と死別、兄弟とは疎遠という噂がありますが

そのようなことは小松の手記にありませんでした。

出身地が江戸川区だそうですが

育ったのは日立市のようです。

それにしても、何度も刺した後に放火とか、人間のやることとは思えませんね。

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この記事を書いた人

はじめまして、みーです!
 
埼玉在住の歯科衛生士です。

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